意識しあう高橋ヒロムとエル・デスペラードの歴史を振り返る!



回は ”TICKING TIME BOMB”高橋ヒロム選手と”ならず者ルチャドール” エル・デスペラード選手についてまとめたいと思います!

高橋ヒロムの歴史を振り返る

本名およびヤングライオン時代のリングネームは髙橋 広夢(読みは同じ)。海外遠征時代はカマイタチのリングネームで活動し、2016年11月の凱旋帰国以降は名前の部分をカタカナ表記にした現在のリングネームで活動している。

学生時代は陸上競技に打ち込み、ロープワークは新日本プロレスの選手の中で最速を誇っている。

2010年8月24日、同期の三上恭佑を相手にプロデビューを飾った。試合は三上の逆エビ固めの前にギブアップ負けを喫した。

2012年5月26日、BOSJ前日記者会見において突如姿を現し、ブラック・タイガーの欠場により空位となった出場枠に参戦させてほしいと菅林直樹社長に直訴した。結果として参加が認められ、念願であったBOSJに緊急出場。最終戦である6月9日名古屋大会で鈴木軍のTAKAみちのくからピンフォール勝ちを収め、価値ある1勝を手に入れた。(菅林会長への直談判はこれが最初で、今年(2020年)の内藤選手との旗揚げ記念日の2冠戦要求は2度目の直談判になる。)

2012年9月23日、DESTRUCTIONにて、井上亘とのタッグで桜庭和志 & 柴田勝頼組と対戦。柴田選手の新日復帰戦の相手を務めた。

2013年6月9日、後楽園ホールにて行われた同大会最終戦にて中西学とのタッグで永田裕志 & 渡辺高章組と対戦。渡辺から逆エビ固めでギブアップ勝ちを収め、試合後イギリスへ遠征することをファンの前で発表。

同年6月14日、イギリスのプロレス団体 4FW4 Front Wrestling)にて海外デビューし、ドイツの団体であるwXwWestside Xtreme Wrestling)にも上がっている。

2014年1月31日、メキシコのメジャー団体であるCMLLにてOKUMURAがパートナーとして呼んだ謎のマスクマンであるカマイタチとして登場。

2015年3月20日、Homenaje A Dos Leyendas 2015にてドラゴン・リーと決着戦としてマスカラ・コントラ・マスカラを行うが、敗戦したためカマイタチはマスクを脱ぐことになった。

2016年1月23日、後楽園ホールで行われた新日本プロレス & CMLLの共催興行FANTASTICA MANIA 2016にてリー vs ヴィールスの試合後に突如として現れ、カマイタチもリーに対してジャーマン・スープレックスを決めて襲撃し、CMLL世界スーパーライト級王座戦を行う事を要求した。同月24日、CMLL世界スーパーライト級王座を保持するリーの挑戦を受ける。試合終盤、カマイタチはリーの猛攻により窮地に立たされるが、足4の字固めで形勢を逆転するとジャーマン・スープレックスの連発から張り手、ラリアットと打撃技で攻めると最後はカナディアン・デストロイヤーを決めて勝利を収め、リーからベルトを奪取して第14代王者となった[11]

4月よりCMLLから離脱し、アメリカに拠点を移す。30日よりROHを主戦場とする。

11月5日、POWER STRUGGLEにてIWGPジュニアヘビー級選手権試合終了後、場内スクリーンに時限爆弾のカウントダウンが表示され、爆発音と共に入場ゲートからヒロムが登場し、IWGPジュニア王座を奪取したKUSHIDAに対し、同王座への挑戦をアピールして宣戦布告を行った。12月10日、WORLD TAG LEAGUE最終戦にて棚橋弘至 & KUSHIDA vs 内藤哲也 & ルーシュ戦の試合中に花道から姿を現し、レフェリーのブラインドを突いてリングに上がるとKUSHIDAを襲撃し、内藤組の勝利をアシストした。試合後に内藤からロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンLos Ingobernables de Japón)の帽子を差し出されるとヒロムはそれを手に取って頭に被り、内藤と拳を突き合わせL・I・Jに加入を果たした

エル・デスペラードの歴史を振り返る

正体は『三上恭佑(みかみきょうすけ)』。
新日本プロレス入門は2009年5月。同期にはバッドラックファレ・高橋広夢がいる。

(左が三上選手。右が高橋広夢選手)

父親の影響で物心ついたときからのプロレスファンで、レスリング、柔道に打ち込む。新潟県立巻農業高等学校ではレスリングで国体に出場し、2000年にはフリースタイル97k級ベスト4の戦績を残す。スポーツ推薦で専修大学へ入学。馳浩が監督を務めるレスリング部に入部し、2003年に行われたJOC杯ジュニアオリンピックのフリースタイル96kg級3位、翌年2004年の全日本学生レスリング選手権ではフリースタイル、グレコローマン84kg級では共にベスト8という好戦績を残し、技術を高めた。

大学を中退した後に、新日本プロレスへの入門を志すも身長が足りない事で不合格。その後、4年間の浪人生活を経て2009年5月に身長制限が撤廃された入門テストに合格。

2010年3月7日。負傷した金本浩二の欠場を埋め合わせるべく田口隆祐戦にて入門から10カ月で急遽デビューを飾る。

2012年2月に海外武者修行に出発。三上恭佑はメキシコの風に吹かれて、ナマハゲとなり・・・

2014年の1.4東京ドーム大会でエル・デスペラードとして凱旋帰国。

2014年7月4日に鈴木軍に入り(約半年ほどは隊所属)、現在に至る。

エル・デスペラードになる前の彼はどんな人間か? 三上恭佑のインタビュー

●ずっとプロレスファンなんですか?
三上「はい。父親の影響でずっと。保育園の時、全日本プロレスの会場でスタン・ハンセンの振り回すブルロープでブン殴られて、プロレスを意識し始めたんで。全日本、新日本、FMWなどが好きでした」

●自身のセールスポイントは?
三上「自分はアンコ型なんですけど、”デブだけど機敏だよ”というところですかね」

●どんな選手を目指しますか?
三上「皆さんに応援されたいというのが一番です。基本的にバカなのに目立ちたがり屋なので(笑)。お客さんに「頑張れ!」と言わせるようなプロレスをしたいですね」

●ライバルを上げるとすると?
三上「同期は完全にライバルですね」

ヤングライオン時代の2人の試合(高橋選手のデビュー戦)

 



ヒロムとデスペに成っての初シングル対決!

2018年6月18日、名前が変わった2人がIWGPジュニアヘビーのベルトをかけて初対決!

この対決の少し前、2人はバックステージでこんなやり取りをしていました!

デスペ「俺がきっちり(IWGPジュニアタッグの)タイトルを守って、お前がシングルを獲って、理想的だ。俺の理想の形になってくれた。素晴らしい。ありがとう。愛してるぜ。」

ヒロム「お前の心は、イヤになるほど、嫌いになるほどわかってるよ。俺のこと、愛してくれてありがとう。お前のこの中身が大嫌いだから、愛せない。でも俺のことをたくさん愛してくれるんだったら、いい試合ができそうだ。」

同期の2人はヤングライオン時代からジュニアを盛り上げていこう!と約束していたかの様なやりとりですね!

今も2人は意識している!

2人の試合が無料で見られると告知したデスペ選手にヒロム選手が絡むシーン。

以前にも・・

デスぺ選手のインタビューをヒロム選手が見て、自分の名前が多く入っていた事をツイート。デスぺ選手は「たまたまだ」とすぐ答えるシーン。

お互いに意識してなかったら、インタビューで名前も出さないですし、インタビューも読まない。心の底では繋がっている部分もあるんでしょう!(リプも早め)

オスプレイ選手、鷹木選手がヘビー級転向を表明し、ジュニア戦線はタレント不足の印象があります。
今までは金丸選手とのタッグ屋という印象が強いデスぺ選手ですが、シングル戦線にもどんどん参戦してほしいですね!

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