邪道&外道の歴史を振り返る




邪道&外道が分裂

日本プロレス、2022年3月13日の兵庫・尼崎大会を開催。バレットクラブ(以下BC)に分裂劇が発生した。

BCでは2月にアメリカ(インパクトレスリングにて)でジェイ・ホワイトがタマ・トンガとタンガ・ロアを裏切り仲間割れが起こっており、分裂の危機が日本でどのように着地するのか注目が集まっていた。

この日「NEW JAPAN CUP」2回戦にてタマ・トンガが「ハウス・オブ・トーチャー」のEVILとBC同門対決に出場。タマのセコンドに邪道、EVILのセコンドにはディック東郷がつき乱戦が展開。

ジェイのマネージャーとしての役割が強い外道が試合終盤にリングに上がると、1989年のデビュー以来「兄弟」と呼び合ってきた邪道にメリケンサック攻撃を慣行。

結局、BCはハウス・オブ・トーチャーを含む全メンバーがジェイ側につき、GоD(タマ・トンガ&タンガ・ロア)と邪道の3人がBCから追放される流れとなった。

試合前後の状況

邪道&外道の歴史を振り返る

1988年、たけしプロレス軍団のオーディションに2人とも合格してプロレス入り。

当初のリングネームは(邪道⇒本名の秋吉昭二。外道⇒ブラック・ウルフ。)

1990年3月、ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げに参加。

邪道(当時はクーリー・SZ(しょうじ)のリングネーム)、外道(当時はブルドッグ・KT)でタッグチーム『パニッシュ&クラッシュ(略称:パニクラ)』を結成。ロード・ウォリアーズのオマージュ・キャラクターのような出で立ちで活躍。この頃に後記する合体技、スーパーパワーボムを開発し、この技でスペルデルフィンを沈めている。邪道は後に、クーリー”クラッシュ”SZ(しょうじ)と改名。

1991年4月、共にメキシコ遠征に出発。同年11月に帰国し、UWA&UWF認定インターコンチネンタルタッグ王座を獲得。

1992年11月、共にフリーに転向。現在のリングネーム邪道&外道に改名し、再度、メキシコ遠征に出発。

リングネームの邪道・外道のリングネームを考えたのは外道。映画「仁義なき戦い」を見ていて、菅原文太の「あんクサレ外道が!」というセリフをもとに、邪道・外道と並べた。邪道は大仁田厚のニックネームと被るため、名付け親の本人は外道を選択した。

帰国後はW☆INGなどのインディー団体に参戦。1993年11月2日に小田原駅前旧市営球場特設リングで行われた、金村ゆきひろ&中牧昭二 vs 邪道&外道のスクランブル・ファイヤー・デスマッチで高山秀男(後の非道)がマット中央へ点火、その火炎の中へ邪道が金村にパワーボムを仕掛けて、金村に大火傷を負わせ長期欠場へと追い込む(ただしこれは、火の勢いが予想以上に強かった上、金村のシャツに染み込んだ油に引火してしまったことによるアクシデント)。

1994年2月、ウルティモ・ドラゴンの誘いを受け、共にWARに主戦場とする。冬木弘道と共に冬木軍を結成し、メジャー・インディー問わずに暴れまわる。この時代に冬木、阿修羅・原に鍛え上げられ、現在でも邪道&外道共に両者を心の師として仰いでいる。この頃はまだ両者共肉体改造前で、モンペ風の同色、お揃いのコスチュームであった。

1996年、冬木の後を追うようにWARを離脱。

1997年、冬木軍プロモーションを設立。同年2月、FMWに再登場し金村やミスター雁之助らと「ブリーフ・ブラザース」というユニットを結成。リング上でコントを演じたりもした。12月には山川竜司&田尻義博組を破りBJW認定タッグ王座を獲得。

1998年1月、山川竜司&田尻義博組に取り返される形でBJW認定タッグ王座から転落。

1999年12月11日、FMW後楽園ホール大会でリッキー・フジ&フライングキッド市原&チョコボール向井組を破り、邪道&外道&中川浩二組にてWEW6人タッグ王座を獲得。

2000年4月25日、東京・渋谷ON AIR EASTで冬木弘道&井上京子&チョコボール向井組に敗れ王座転落するも、5月3日、博多スターレーン大会において邪道&外道&中川浩二組にてWEW6人タッグ王者に返り咲く。しかし、5月28日の後楽園大会でまたしても冬木弘道&井上京子&チョコボール向井組に敗れ王座転落。9月17日にはディファ有明大会でパートナーを邪道&外道&中山香里に変更し、3度目の同王座獲得。

2001年1月27日、WEW6人タッグ王座を返上。2月、田中将斗らと「コンプリート・プレイヤーズ」を結成。

2001年2月21日、田中将斗と共にFMWを離脱。再度フリーへと転向。その後、大日本プロレス、格闘探偵団バトラーツなどのインディー団体を中心に参戦した。



主戦場が新日本プロレスに

2001年6月「TEAM 2000」のメンバーとして新日本プロレスに参戦。体重を落とし、ジュニアヘビー級にその主戦場を移す。この頃から2人はプロレス界には珍しく科学的なトレーニングを取り入れ肉体改造を行い、筋骨隆々な肉体へと変貌を遂げ始める。同年7月20日、獣神サンダー・ライガー&エル・サムライ組を破り、IWGPジュニアタッグ王者となった。さらに邪道&外道のタッグは、プロレス大賞の年間最優秀タッグ賞を受賞した。

2002年、IWGPジュニアタッグ王座6度目の防衛を達成し、同王座歴代最多防衛記録を更新するも、同年5月2日、獣神サンダー・ライガー&田中稔組に敗れ、王座転落。

2003年10月13日邪道は東京ドーム大会で4代目タイガーマスクが返上したIWGPジュニアヘビー級王座を賭けて行われた時間差バトルロイヤルで優勝。自身初の国内シングル・タイトルを獲得。

2003年11月29日、金本浩二が負傷のため、返上したIWGPジュニアタッグ王座をかけて宮城県スポーツセンター大会で田口隆祐&後藤洋央紀組と対戦。同王座2度目の獲得を果たす。(邪道は12月14日、名古屋レインボーホール大会でヒートに敗れ、IWGPジュニアヘビー級王座を失うまでジュニア二冠王者であった)

2004年3月12日、国立代々木競技場第2体育館においてカレーマン&アメリカン・ドラゴン組に敗れIWGPジュニアタッグ王座も失う。しかし6月5日、大阪府立体育会館大会でのリターン・マッチに勝利し、2人は3度目のIWGPジュニアタッグ王座を獲得し、ライガーらと「C.T.U」を結成。

2005年3月4日、後楽園ホール大会で金本浩二&井上亘組に敗れ王座転落するも5度の防衛を記録し、またしても長期政権を築いた。

2006年7月8日、ツインメッセ静岡でエル・サムライ&田口隆祐組を破り、4度目のIWGPジュニアタッグ王座を獲得。同年には天山広吉に対してトレーニング指導を行った。

2007年5月2日、後楽園ホール大会でディック東郷&TAKAみちのく組に敗れ王座転落。同年7月、C.T.U解散(公式的な解散は8月26日)に伴い、天山率いる「G・B・H」へ加入。天山が追放され真壁刀義が新たなリーダーとして陣頭指揮を取るようになると、それに追随してG・B・Hとして活動を続ける。

2009年4月、矢野通の裏切りによってG・B・Hが空中分解した後は、矢野に追随する形で新ユニット「CHAOS」に加入。

8月30日、後楽園ホールにて邪道、外道デビュー20周年記念興行を開催。2人はメインで登場し、プロレスリング・ノア所属の金丸義信&平柳玄藩組と対戦。試合はクロスフェイス・オブ・JADOで邪道が平柳を下し、有終の美を飾った。その後、全日本プロレス参戦時代にタッグを組んだこともあった金丸との因縁が勃発。10月3日、ノアの大阪府立体育会館大会で金丸&鈴木鼓太郎組が持つ、GHCジュニアタッグ王座に挑戦するも、外道が金丸からフォール負けを喫し、敗戦。

2010年2月14日、田口隆祐、プリンス・デヴィットの持つIWGPジュニアタッグ王座を賭けたタイトルマッチが組まれていたが、1月31日に行われた試合中にケニー・オメガが放ったラ・ケブラーダを邪道がまともに食らい昏倒、レフェリーストップ負けを喫した。試合後も動かない邪道は担架で運ばれ退場し、心配するファンからも声援が飛んだ。後日の検査の結果で頸椎捻挫と診断されシリーズも全戦欠場。タイトルマッチが消滅。

これを最後に邪道&外道でのタイトルマッチは行われていない。

2012年1月4日、外道は凱旋帰国してきたオカダ・カズチカをCHAOSに引き入れ、マネージャーに就任。以降、スポークスマンとしてオカダのサポートに徹していき「金の雨が降るぞ!!」巻き舌で「レベル(レヴェル)が違うんだよ(ちげぇえんだよ)!!」といったマイクパフォーマンスが定着する。

2人の今後

デビュー以来一貫して互いを「兄弟」と呼び合いこのコンビで活動していた邪道&外道。

ユニバーサル・プロレスリング時代に外道がパット・タナカ&ビジャノ3号と「バッドカンパニー」を結成し、一時敵対したこともあったが、タッグはユニバーサル、FMWの一時期を除き、20年以上もほぼ断続的に活動しており、現存するタッグチームでは国内最長であった。

共にレスラーとして晩年に差し掛かっている2人。

「再びの合流はあるのか?」「あるならそれはいつなのか?」引き続き目が離せない状況が続く。

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