棚橋弘至選手の無観客試合を回想
棚橋弘至選手がTwitterを更新。
▼無観客試合
KING of SPORTS 2004年3月28日 両国国技館 U-30無差別級戦金網デスマッチ 棚橋弘至 VS 村上和成 – #njpwworld #njpw https://t.co/93EcGW5RsX
— 棚橋 弘至 (@tanahashi1_100) 2020年3月9日
怒られたんじゃなくてね。試合後に落ち込んでいたら「棚橋、一生懸命やったのか?」と聞かれてね。「はい!全力でやりました」と答えたら「じゃあ胸を張れ」と、言われました。盛り上がる試合はもちろん大事だけど「全力でやったかどうか」が大切だと、教わりました。 #後藤達俊 https://t.co/XIwHzx2trW
— 棚橋 弘至 (@tanahashi1_100) 2020年3月9日
約16年前・・・こんな無観客試合があったのか。。。
棚橋選手のTwitterから動画を見ても、この無観客試合の状況が分からないファンの方も多かったと思います。(私も棚橋選手のTwitterがきっかけでこの動画で初めて見ました)
この無観客試合の状況をまとめていきたいと思います。
2004年3月28日両国国技館大会で行われた無観客試合。
試合は「ノーピープル金網デスマッチ」。試合は両国国技館とは別のスタジオで行われ、両国国技館に設置されたビジョンで生中継されるという方式だった。
試合の場に歓声は届かず、スタジオには実況アナウンサーと試合を裁くために山本小鉄さん、村上選手のセコンド1人とカメラマンのみ。新日本プロレスの最後の無観客試合。(2020年3月10日時点)
「ノーピープル金網デスマッチ 無差別級U-30王座 棚橋弘至 vs 村上和成」まとめ
対戦相手 村上和成選手とは
ヒール軍団の魔界倶楽部のリーダー(蝶野正洋、柴田勝頼とトリオを組む)。オープンフィンガーグローブを着用しバチバチの打撃を得意とするレスラー。2004年夏(この無観客試合と同年)に怪我のため欠場し魔界倶楽部が解散。無期限欠場。2005年からは新日本プロレスには参戦していない。
IWGP U-30無差別級王座とは
提唱者の棚橋選手と中邑選手しか戴冠しなかったベルト。
30歳以下の選手に光を当てる為に創設するも現在は封印されている。
【無観客試合】棚橋選手の感想
無観客試合から5年後に棚橋選手は(2009年6月12日付け東京スポーツで)この無観客試合を振り返っています。
実はあの試合、細かいことまでは覚えていないんです。何で当時、村上選手とやり合っていたのかさえ今となっては…。
まず致命的だったのは、別会場で観客不在だったということ。後で映像を見たら、無声映画のようでした…。テレビ朝日の人がシャウト系の実況をしてくれたんですけど(リング上との)ズレもあって。プロレスというのはリング、プロレスラー、そしてお客さんがいて初めて成り立つもの。それに気付かなかったオレが愚かでしたね。試合が終わって両国に向かってる時からは「ダメだったなあ~」ってずっと思ってて。両国ではベルトを披露するはずだったんですけど、オレは控え室でしょんぼりしてたんですよね。そこに後藤達俊さんが来て「棚橋、精一杯やったんだろ? なら胸張って行ってこい」って言ってくれたんです。確かにとんでもない恥ずかしい試合だったけど、そのひと言で「そうだよ。オレは精一杯やったんだ。胸を張ろう」って思ったんです。レスラーとしての階段を一つ上った瞬間でしたね。それからはいつ何時、悔しいときでも、ブーイングを浴びても胸を張る。オレは一生懸命やったんだって。まあ、何よりもあの試合で分かったのはお客さんがいることのありがたさ。これが心底分かってるのは、今の新日本ではオレだけでしょう。あとは巌流島の戦いに関係した人たちですか。(2009年6月12日付け東京スポーツ)
棚橋選手としてはかなり不本意な試合だったようですね。
コロナウィルスよって大会中止により議論される無観客試合
木谷オーナーが無観客試合を提案した際の記事
STARDOM無観客試合のまとめ動画配信が発達し、実況や演出がシッカリしていれば無観客でも十分プロレス観戦できると思いますが、やっている選手はやはりやりにくい部分があるんでしょうね。
まだまだコロナ問題は解決の糸口すらみえませんが、
手洗い!うがい!元気!元気!で乗り切っていきましょう!
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